図1
図1
2011年3月に発生した東北地方太平洋沖地震によって発生した津波と福島第一原子力発電所の事故は、周辺地域に大きな影響を与えました。放射性物質による汚染により発電所周辺の多くの人々が避難を余儀なくされ、現在でも住民が帰還できない地域が残されています。帰還困難区域における突然の人間活動の低下は、そこに生育・生息する生物に様々な影響を与えていることが確認されています。例えば、住民の避難や作付け制限によって空き家や耕作放棄地、放任果樹等が生じ、様々な野生哺乳類の個体数が増加しました。野生動物の急激な個体数の増加などは、住民の帰還や被災地域の復興において重要な課題となっています。そのような問題のひとつに、逃げ出した家畜のブタとイノシシとの交雑があげられます。
ブタの野生化やイノシシとの交雑は、ヨーロッパや北米大陸など、多くの地域で問題となっています。特に北米大陸では、分布拡大が問題となっている野生ブタの多くが交雑由来であり、特定の交雑系統が広がっていることが明らかにされています。日本でも、在来のイノシシの個体数の増加や分布の拡大に伴う農林業被害、豚熱の拡大は、大きな問題となっています。また、帰還困難区域内では、昼間の活発な行動や車を恐れないといったイノシシの行動も確認されています(図1)。東日本大震災と原子力発電所事故によって生じたブタの野生化とイノシシとの交雑が、産子数の増加や人間の活動圏での行動増加に繋がる場合、これらの問題がより深刻になることが予想されます。そこで我々の研究チームでは、福島県内におけるイノシシ個体群における家畜ブタ遺伝子の広がりを明らかにする目的で、ミトコンドリアDNAおよび核マイクロサテライトマーカーを用いた遺伝解析を実施しました。核マイクロサテライトマーカーは、核DNAに存在するマイクロサテライト領域と呼ばれる部位に着目して解析をするマーカーです。親子鑑定や樹木の品種識別、交雑分析などにも使われています。まず、我々の研究チームでは、ブタとイノシシで対立遺伝子が異なり、交雑の分析に適したマイクロサテライトマーカーを選抜しました。それらのマーカーを用いて、福島県内の帰還困難区域およびその周辺で捕獲されたイノシシについて分析を行いました。分析した191個体のイノシシのうち31個体(16%)について、祖先におけるブタとの交雑の痕跡が観察されました。ミトコンドリアDNAでの分析では、これらの過去に交雑した個体が広い範囲に広がっていることが示されていました。しかし、核DNAでの分析は、ブタ由来の遺伝子を高頻度でもつ個体の分布は福島第一原子力発電所付近に限られていること、距離が離れるにしたがってブタ由来の遺伝子の割合は減少していることが明らかになりました。ミトコンドリアDNAはブタ由来であるものの、核DNAではほとんどの遺伝子がイノシシに置き換わっている個体も多く確認されました。この結果は、ブタとイノシシの交雑個体は、イノシシと交配し、その子孫はまたイノシシと交配する、というような戻し交配によって、個体のブタ由来の遺伝子の割合が減少している状況を反映していると考えられます。
今回の結果は、東日本大震災によって生じたブタの野生化とイノシシとの交雑がイノシシ個体群の動態に与える影響を考えるうえで、重要な示唆を与えています。もし、北米大陸のように交雑系統が生き残りやすく、分布拡大や個体数の増大に寄与している場合、より高頻度でブタ由来の遺伝子が観察されるはずです。今回の事例では、ブタに由来するミトコンドリアの残存というかたちで交雑の痕跡は残ることとなりますが、イノシシの形態や行動に大きな影響を与えると考えられる核DNAについては、交雑の影響が次第に消えていくと考えられます。その一方で、ブタに由来するミトコンドリアDNAの解析やイノシシの遺伝構造の解析結果は、一度生じた遺伝子汚染のような問題が、イノシシの高い移動性によって、急速に拡大する危険性も示唆しました。人為的に導入された近縁種と在来種の交雑の問題は、予防措置が極めて重要であることを改めて示す結果となっています。しかし、このようなブタ由来のミトコンドリアDNAの急速な分布拡大は、なぜ生じたのでしょうか?その理由についてさらなるデータ解析を進めています。
Anderson et al. "Mating of escaped domestic pigs with wild boar and possibility of their offspring migration after the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant accident." Scientific reports 9 (2019):11537.
Anderson, Donovan, et al. "Introgression dynamics from invasive pigs into wild boar following the March 2011 natural and anthropogenic disasters at Fukushima." Proceedings of the Royal Society B 288.1953 (2021): 20210874.
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