2021年3月19日
関東地区
東京農工大学 工学部
プラスチックは1950年前後より急激に人々の生活で活用されるようになり、1950年から2015年までのプラスチック総生産量は78億トン、製造で必要となる添加材を含めると83億トンにもなります(R. Geyer et al. Sci. Adv. 3, e1700782 (2017))。このうち49億トンは廃棄プラスチックとなり、その一部はマイクロプラスチックとして環境中に放出され、自然環境中に残存されていると考えられています。マイクロプラスチックは生分解性が低く、回収も困難であり、生物の生存にとって非常に大きなリスク要因となり得ます。そこで、消費財のなかでも非耐久財であり、現時点でリサイクル回収できていないプラスチック製品の生分解性プラスチックへの置き換えが期待されています。
このような背景の中、現在様々な生分解性プラスチックが開発されていますが、カイコが生産するシルクもその素材の一つになるのでは・・という発想のもと、シルクのプラスチック化について開発を進めています。
今回は、シルクという素材の概要および、シルクをどのようにしてプラスチックとして利用できるのかについてご紹介します。
シルクの主成分であるシルクフィブロインは、アラニンとグリシンを多く含む繊維タンパク質です。シルク繊維は高強度・高弾性であるということは良く知られていますが、この特性はシルクフィブロインが有する高度な凝集構造にあります。カイコ体内にあるシルクフィブロインは、吐糸される際のずり応力と延伸力による分子凝集により、ゲル状態から強固な結晶構造領域を有する「強い繊維」を創り出します。
よってシルクフィブロインは、分子中に存在するアミノ酸の水素結合や疎水性相互作用を巧みにコントロールすることができれば、繊維だけでなく、様々な物性、形態、機能性を有する新規材料への展開が可能となります。図1には、様々なシルクフィブロインの形態加工法を示しました。カイコから得られた繭は、製糸工程によりシルク繊維を得ることができますが、シルク繊維は特定の処理を施す事により、水溶液やキャストフィルムやナノ薄膜、スポンジ、ナノファイバーシート等の形態に加工できます。これらのシルク材料は、強度や弾性率等の材料特性を制御可能である上、生体に対する炎症性や免疫原性が低く、加工法によって分解性を制御できることから、再生医療に用いる組織工学材料としての応用も期待されています。
またシルク水溶液を条件を整えながら濃縮していくと、図2のような琥珀色の樹脂を作製することができます。この樹脂はシルクフィブロイン100%でできており、シルク繊維や他のシルク加工材料にはない圧縮強度を有していることから、硬組織の医療機器素材や汎用プラスチック製品等、様々な用途展開が期待されます。また本材料は、シルクフィブロインを溶解して加工するため、シルク繊維として販売できない繭や絹製品の端切れの活用が可能です。
一方で、シルクフィブロインは熱をかけても溶融しないため、樹脂への加工法が極めて限定的であることや、加工時の変形量が大きいこと、作製のコスト面など、多くの課題があります。今後シルク樹脂実用化を目指し、上記課題克服が求められます。
東京農工大学では、農学と工学の研究者がその強みを融合した全学的プロジェクト「TAMAGO(Technologically Advanced research through Marriage of Agriculture and engineering as Groundbreaking Organization)」において、マイクロプラスチック汚染という社会的課題に対し、総合的解決を世界に先駆けて行うことを目指した研究を推進しています。同プロジェクトの課題として、シルク樹脂の実用化に向けた研究開発が進められており、シルクフィブロインの熱的性質の改変、新たな成形加工法や様々なシルク片を用いた加工性の検証などを行っています。
さらに現在、民間企業や地域協議会の協力のもと、愛媛県今治市にシルク原料を安定的に生産できる施設「今治シルクファクトリー(ユナイテッドシルク株式会社)」の設置が予定されており、今後、基礎研究と実証試験を結びつけた開発を推進します。
明治政府は、蚕の疫病や蚕種の検査員を養成するための施設として、明治19年10月に農務局蚕業試験場を設置しました。この教育施設が東京農工大学工学部の前身であり、本学は明治から昭和にかけて、我が国の主要産業である養蚕・製糸業を支えてきました。
しかしながら、現在のシルク関連産業は、産業維持が困難な状況にまで落ち込んでおり、海外産シルクに依存する状況となりつつあります。本学が蓄積したシルクに関する知見や技術は、様々な学問分野と融合することで新たなイノベーションを創出しており、シルク樹脂もその一つであると言えます。
新たなプラスチックの開発にシルクという生物資源を活用することは、地球環境問題へのアプローチのみならず、我が国の伝統素材を守ることにも繋がると考えます。
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